2009年8月20日木曜日

言葉にする必要性。

最近、すっかりご無沙汰・・・ってまぁ、それはいつもなブログですね。こんちにはこんばんわおはようございます。皆元気でいやがってますか?
おいらは仕事やめてすっかりプータローになってしまって、体調だけはすこぶる元気です。でも仕事ミツカラナーイ(笑)。

まぁ、そんなこんなな日々ですがある日、同じ孫家拳を習っている海さんから恵比寿の教室でこんな事を言われました。

「最近、稽古記録とかみかけませんよねー。いつもしてるっぽいのに。何か気がついたときとかの文章よみたいなー」

といわれてハタとそういや書いてネーなーと。

まぁ、以前は回数を記録して、そのときに何を考えていたのかとか書き留めていたんだけど、今はもうやらなくなってしまったのもあるんだけど。
以前と比べて、今の自分の稽古方法って常に自分と相談して、メリハリをつけるのではなくて生活の一部に組み込んでやるようにしている・・・、というかそうなりつつあるのもあるのです。
トイレや風呂、あるいは散歩に行くのに正確に予定立てて、記録していく人はあまりいないでしょ? 食事とかグルメな人はいそうだけど(笑)。
だから回数じゃなくて、たとえば太極拳の套路ならやったときに自分の体はどう動いたのか、今日はどんな調子なのか、自分の体とか心に問いかけてやってみる感じ。まぁ、そのせいなのか、一本一本でえらくつかれる時があって、あー、さぼっててスタミナないのかな、とか思うことシバシです(笑)。

それとブログとかで武術について語るのは、あくまでもそれを知らない人や興味はあるがまだやったことが無い、と言う人に向けてでありたいと思っているのと、それ以外の人々と自分の中での武術観とか、体感が違うことが多いので、言うだけ意味が無いのかな、と。

技が効いた、効かないってのは試してみればわかることだが、そこにいたる体験や感覚って個人個人でまったく違うわけで。ある人は勁(要するに威力と思って欲しい)が体を通って相手に伝わる過程の感覚を板バネのよう、と評したり、あるいは鞭と評したりするし、俺はそれとはまったく違う感覚で捕らえていたりする。
でも結果論としてきちんと勁が相手に伝わっている限り、そうやって言葉であーだこーだと違うかどうかなんて語るだけ無駄なことな気がしてるのです。

無論、人に助言したりとか教えるときは自分のイメージで物を言う。でも、個人的には勁だの気だのといわゆる専門用語なんか使わないし、使って相手が理解できるとも思わない。
脱力って言っても同じ。力の抜き方がわからない人に力抜けって言っても通じるわけが無い。

そして実戦で使える使えないもまた同じこと。子供のころのなけなしの経験も混みで言うけど、実戦ってなんなのさって言いたいし、言った所で想定が違う相手にはまったく通じないし、相手はそれを受け入れられない。俺が相手の意見を理解できないときと同じで。

だから言葉で武術をもてあそぶようなマネはしたくないなー、というのが自分の本音になってきているのです。

まぁ、たまにそれでも書いちゃったりしちゃうのは、俺がしゃべりたがりのウンチク野郎なだけなんだけどね(笑)。

ちなみに例であげた勁の伝わり方ってイメージについては一応、俺のイメージは書いておきます。なんか人の意見だけあげてって言い方もよくない気がしてきたからね(笑)。

自分の勁が体を抜けて相手に伝わる感覚は「波」だと思っています。寄せては返す、ではなくて、大海原でうねりあがって津波を起こすような波。
波ってのはしぶきが上がる前の大きなうねりから始まって、一気に水を持ち上げて逆巻いていく。そこには力の起動点もなく、どこでぶち当たってもそのまま飲み込んでいくような強さを持つって印象。
だから脚から始まって、力が強さを減衰させず、そのまま一気に目的に向かうようなイメージでやってます。
うねりっても体自体はうねらないよ? あくまでもイメージで実際にはきちんと習ったとおりの動き方をしているだけ。だから本来、キチンと基本が出来ればこんなこと語る必要もないんだよね(笑)。

まぁ、肩甲骨の位置ーとか、そういうこまい事も気がついたことあるし、ふっとツイッターとかに書いてたりするんだけど、あまり大したことでもないんじゃないかなって思っている今日この頃。

出来なくて当然、を出来て当然、にするのが武術に限らず技術の習得ではないかと思う今日この頃でしたとさ。

2009年8月6日木曜日

こっ、これちょっと欲しい・・・(笑)。

はい、どーも。相変わらずの月間ブログです。
まぁ、ワッサーとかツイッターのログとかパーツに入れてるから生きてるのはわかるし、いいよね?(笑)。

SLのほうではまったりとアニメ作って新作セットも完成してもうじき発表しますです。
武術の方は相変わらずで、そんなあーた、二、三ヶ月で劇的な進歩なんてありゃしないよ(笑)。
武術はいろいろ考えることは多いんだけどまぁ、突き詰めてしまえば基本をきちんとやって、よそ見しないで一つのことやんなさいよって事に尽きるわけで。
御託並べてる暇があったら、基本まずやろうねってくらいしかいいようがありませぬ(笑)。


で、昨今動画とか見てのほほんとしたりとかまぁ、比較的ゆるい日々なんですがこんな動画発見。




傘のCMというか、プロモーションなんだけどこの耐久力!
護身用の傘だよって言ってる通り、なんつーか、スイカ真っ二つの時点でオーバーキルなんじゃねーのかとか、使ってる人何気にすごくね? とか思っちゃうんだけどもこれはちょーっと欲しい(笑)。

2009年7月10日金曜日

アニメ屋のぼやき

固定ポーズとか、おしゃれポーズとか作るのめさめさ詰まらなくなってしまっている自分がいる。
実際感覚的に、かわいいとか、おしゃれってのは判らないんだが(まぁ、がさつな男の子だからに)、それだって写真や動画を見ればコピーは出来る。
基本的にアニメ作る作業なんて実物見て、どこの動きにフォーカスを当てるのか考えて、そこから自分の脳内で再構成する作業が八割なんだからそんなに難しい事でもない。
大抵の人はその作られたアニメの間や呼吸を見て、自分の好みの動きだった場合に買う、それだけの事なのでその作業自体が難しいってわけでも実際はない。


で、自分の思う通りにぐりぐり動かしたいってなってくるとそら当然自分自身の好みがでる。
たとえばおとなしいポーズや日常的な仕草よりは、激しい動きが好きだし、激しいにしてもダンスやスポーツよりはやはり武術や格闘技の動きが好きなので自然、そういう比率はどんどん増えていく。




結果作るものはその手のもので、結局こいつはカンフー物しか作れない、とかいうフィルターがかけられる。



まぁ、それはどうでもいいのである。そのほうが楽な時もあるし、それ以外の物を作ってね、とリクエストが来たらそのときに考えればいい事なのである。


で、最近の悩み事ってのはその好みの動き、武術のアニメーションについてだったりする。

自分がすきなのはやはり自分でもやっている通り、古流、ないし伝統武術だ。現代格闘技も嫌いではないが、やはり自分がやっているものの方がすきなのは当然の事。

いろんな動画や資料を見ながら、ああでもない、こうでもない、とSLのアニメーション技術の枠の中にそういった動きを再現していくのは楽しいものなのであるのだけど、ちょっと問題が出てくる。

伝統武術の動きは動きを見せない。
つまり動作をコンパクトにし、機械的に、全身を動かしているように見せる事なく全身を駆動する。
ともすると実物を見ても機械のような動きだったり、逆に何か違う生き物のようにぬめっとした動きになったりと、流派によって実にいろんな風格がある。

それをSLの3dアバターで再現すると、ほんとに機械じみてぎこちなくなってしまうのである。

肩や腰を上下動させず、ねじらず、迅速に打つ、という動きをアバターにやらせると本当に簡単にできる。
ただ、それはたんに腕が動いている、というような何か違う動きになってしまう。
だからそうさせないためにもいろんな所を動かしてみたりとかすると、今度は本文の所から外れて何か違う技になってしまったり、その武術の風格みたいなものが出てこなくなってしまうような感じがしてきてしまって悩んでしまうのである。

本当は自分のやっている孫家拳の動きとかもいろいろやって、ささやかな宣伝くらいになればなーって思うのだけどもそれは中々どうして巧く行かないものなのである。

2009年6月15日月曜日

ちらほら宣伝。

やぁ、どうも。ちょっと死にかけているリュウジです。いやー、睡眠大事よ、ミンナ(謎。

ともあれちょっとリアルでしょうこりもなく動画を作ったので、自分の武術練習会の宣伝ついでに公開しますですよ。



七月から世田谷区弦巻区民センターで、世田谷区孫家拳同好会の名前で、土曜の夜六時から太極拳をメインとした練習会を行います。
二年くらい前からやっているのだけど改めて告知します(笑)。

基本としては孫式太極拳の13式や97式套路と、基本練習法を初心者の方には指導したり、あるいは何か経験者の方にはその人にあった内容の練習会として交流したりするのを目的とした会です。
また、月に一回は孫式太極拳二代伝人後藤英二先生をお招きして中・上級者向けの研究会等も行って居ます。


今の所は俺の先生である後藤英二先生に習っている同門の仲間たちがメインの練習会ですが、初心者や他流でも孫式に興味のある方は歓迎ですので、お気軽においでください。

2009年6月12日金曜日

思い出の翼。

趣味のお話を一つ。

子供のころから空にはすごい憧れがあった。そのわりには飛行機に乗ったことはないんだけども、戦闘機物はすごい好きで今でも本があれば買ってしまうし、ゲームがあればやってしまう(笑)。

それでユーチューブでふつと懐かしいものがあったのでそれをご紹介。
エースコンバットももう6かー。ながいよなー。







一番好きなのは、5かZEROか。ZEROは曲にひかれて、5は物語に惹かれたかなー。雰囲気は4が好き。6は実はやってないんだ、まだ(笑)。

2009年6月10日水曜日

アニメ修行。

最近、SLであまりアニメの新作を作っていないアニメ屋のリュウジです。こんにちは。

まぁ、あまりやる気にならなかったというのがホンネだったんだけど、今度animeというSIMのショッピングモールに出展することもあり、気合を入れなおしてやっている最中でござんす。

とはいえブランクというほど作ってないわけではなくて、普段からアニメはなにがしら作ってたんだけども。
ただ、惰性もいかんよな、ということで心機一転・・・・・・・・・・・



アダルトもやろうかなっ





・・・・・・・嘘です。さすがに太極拳の先生やるって人がアダルトはまずいです。ハイ。
とりあえずはゲーム系からいろいろと資料引っ張ってきて作っている最中で、一日一個はつくるぞーとのんびり作ってオリマスDeath。

2009年6月9日火曜日

もし、貴方が

何かを発しようとするならば、その前に一つだけ考えて見てほしい。
貴方が発したものは人に受け入れられるかもしれない。
貴方が発したものは人に拒絶されるかもしれない。

あるいは

人を喜ばせるかもしれない。
人を悲しませるかもしれない。

人を怒らせるかもしれない。
人を感心させるかもしれない。

人を救うこともあるだう。
人を傷つける事もあるだろう。

あるいはそのすべてかもしれない。
自分が思った通りに伝わらないだろう。

なぜならば貴方が発したものを受け取るのは貴方ではないからだ。
貴方が考えている真の意味や価値は、貴方しか判らない。
他人は貴方が発したものから、自分の中にあるものから汲み取って考える事しか出来ない。
あるいはまったく考える事すらしないかもしれない。

たとえ無視され、嘲弄を受けようとも自分の心から発する事が出来るのだろうか?
人に賞賛され、人に受け入れられ、人に感謝されたことで己の発したものを自分で見つめなおすことができるだろうか?

友よ。


人に何かを発しようと願うならば、ほんの一瞬でいい。その事を考えて見てくれ。

それとも

この言葉は私の本当に心から発するものなのだろうか?